Ayrから車で5分!隠れスポット 〜ANNZACK TRADINGS ミリタリー用品〜

久しぶりにAyrの観光スポットをご紹介します♪

今回ご紹介するのは、オーストラリアアーミーなどの骨董品を扱うお店です!

Ayrの生活に飽きてきたら是非覗いてみてください♪

ANNZACK TRADINGS 

場所:Ayrから車で5分ほどにあるHome Hillの街中にあるお店!

電話番号:0429136607 / 0744477010

店内の様子

オーストラリアのミリタリーアイテムがずらっと並んでいます♪

日本とオーストラリアの戦争は皆さんご存知ですよね?

オーストラリアには沢山の種類の蛇がいます。

ファームでピッキングなどをしていたら、100%の確率でみれますよ笑

 

オーストラリアと日本の戦争 〜歴史〜

日本とオーストラリの関係は、日英和親条約締結で日本が鎖国を廃止し、開国した頃から親密になり始めました。

オーストラリアからも沢山の人々が来日し、1870年代から80年代にかけて、博覧会や演劇を通じて、 日本ブームが引き起こされ、オーストラリアにおける伝統的日本のイメージが広められました。

そしてやがて戦争期に入り、第一次世界大戦中は共に連合国側に参戦しました。しかし、1941年12月7日、日本軍の真珠湾攻撃によって、太平洋戦争が勃発すると、オーストラリアはアメリカとともに日本に戦線を布告し 、両国の関係は最悪のときを迎えます。

日本軍はダーウィンやブルームを空爆し、シンガポールやパプアニューギニアなどでも激戦を繰り広げ、多数の犠牲者が出ました。また、収容所での捕虜に対する扱いはひどく、この戦争の間に捕虜になったオーストラリア兵の3分の1が、 処刑や栄養失調、病気のためになくなりました。そのため、日本兵による捕虜への虐待は、オーストラリア人に日本人の残虐なイメージを植え付けました。

 1945年8月の終戦までに、日本との戦争で死亡したオーストラリア人の数は1万7501人にのぼり、 この数はドイツとイタリアとの戦争で死亡した人数のほぼ2倍にあたるものでした。この戦争はオーストラリア人の心に深い傷痕を残し、 それからしばらくは多くの人々が日本に対して激しく憤りの念を抱いていました。

 一方、戦争が始まった時点でまだオーストラリア国内に残っていた日本人は、戦争が終わるまで収容所に入れられました。1944年3月にはカウラ捕虜収容所で日本兵が集団脱走を試みています。この事件では、1104人いた日本人のうち、247人がなくなり、オーストラリア側も、4人が死亡しました。そして、1945年に戦争の終結した後の1946年2月からは、ほぼ全ての日本生まれの在豪日本人は日本に強制送還され、オーストラリアにおける日本人共同体は事実上姿を消すこととなりました。

〜日豪関係史より抜粋(引用)〜

なんとも悲しい歴史ですが、今現在オーストラリアの小学校などでは第二言語で日本語を教えていたりと、親日の面も見えています。

それでも、やはりオーストラリアで滞在する場合は、このような歴史が昔、日豪であったという知識を入れておきましょう。

おわりに

いかがでしたでしょうか?!

一年目にファームのために訪れたAyr(セカンドビザ )ですが、その時は「田舎に住むなんて。。」という感じでしたが、2年目に訪れた際、少し離れたところまで観光してみると、いろいろな発見があり、今では第2のホームタウンになりつつあります♪

ちゃっかりオーストラリアミリタリーのお洋服も購入しました♪

是非一度訪れてみてくださいね♪

 

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